8月5日マスターズ研修(ミドルコース)

8月5日 平成19年度 上期 第4回目のマスターズ研修・ミドルコースが開催されました。
本日の学習箇所は、『生き方の基本』の「正義をめざそう」(154ページ)と、「サムライとして生きる」(159ページ)です。
 学習のポイントを、以下に記載しました。ノートとしてご活用ください。
[26] 正義をめざそう
●現実に生きる者にとって、常に正しくあるとか、真理を行うことが完全にできるはずがありません。
要は、そうあろうと務める人生態度が大切なのです。人間の安らぎは、自分の歩んでいる道が真理あるいは正義に通じているという自覚をもつことで得られるからです。
これはとてもたいせつな人生態度ですし、その場合、内心の正しさの基準となるものが、その人の人生の明暗を分けることになります。
  ⇒論語や聖書はこれを明確に説いている
●人間の尊厳を日常生活で支えるものとして、まず考えられるのは礼儀です。孔子は、人間が人間らしく生きる行動様式を「礼」と表現しました。しかし、それは、たんにうわべの礼儀作法を意味するものではありません。その核心にあるのは、人間としてのひたすらなる真心(忠恕)ですし、それに至る道として、人間愛(仁)、聡明さ(知)、実行力(勇)をあげています。(資料1)
[27] サムライとして生きる
●サムライを漢字で書くと「士」です。この文字を分解すると、「十」と「-」に分かれます。 「十」は人間がもつさまざまな善悪美醜の情念や欲望を意味しますから、そのなかで最も高貴で価値あるものを一つとりだして、それに他を従わせるというのが本来の意味です。
孔子の場合、その価値あるものを「忠恕」としたのです。
●『聖書』における「義」は、『論語』のそれとは異なり、「神と人との間の正しい関係」を意味します。
●「『土民社会』は『市民社会』に勝るとも劣らない、とイギリスの学者は瞠目した」と。
「論語」と「聖書」の交わる世界に、二十一世紀のサムライの道があると思うのです。(資料2)
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(資料1)
■ 日本語を通して学んだ「礼の心」I
 もう-つ、孔子と論語がこの上なく強調しているのが「礼」である。そして、石氏が日本に来て早々、大いに感心したのが日本人の礼儀正しさであった。
今でも鮮明に覚えている場面の-つだが、日本留学の身元保証人になっていただいた日本人の家に、初めて招待された時、玄関に入ると、この家の初老の奥様は何と、玄関口に正座して私たちを迎えてくれたのである、私がお世話になる一留学生の身であるにもかかわらず! その時に受けた「カルチャーショック」は、まさに「ショック」というべき衝撃であった。孔子様のいう「礼譲の国」とは、ほかならぬこの日本であると、心の底から感激したのである。[1,P153〕
特に、文化大革命以来の、紅衛兵流の荒々しさと「無礼講」が社会的流儀となった中国から来た石氏にとって、これはあまりに美しく、あまりに優雅に見えた。
(資料2)

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