9月2日マスターズ研修(ミドルコース)

9月2日 平成19年度 上期最後のマスターズ研修・ミドルコースが開催されました。
 本日の学習箇所は、『生き方の基本』の「めざすものは必ず達成できる」(166ページ)と、「今日一日を生き抜く」(171ページ)です。
学習のポイントを、以下に記載しました。ノートとしてご活用ください。
[28]目指すものは必ず達成できる
●何ごとにせよ、本当にそれを求めるなら、人生の扉はいくらでも見つけだせます。未来への扉を開けようと本気で思うなら、その手立てはどこかにあるはずです。大切なのは、自分がその気になることです。
●高碕達之助という人物がやったことは、湖底に故郷を、祖先の墳墓を、村の歴史を沈めざるをえなかった人々の悲しみへの鎮魂の事業ではなかったかと思います。それにしても、人間がその気になり、その総力を結集したとき、奇跡に近い成果が得られることをこの二本の桜の古木は告げているかのようです。私たちは彼がやりとげたように、自分の運命の扉を勇気をもって叩いていきたいものです。
Q ご自分の達成体験や、広間した事例を思い出してください。
[29]今日一日を生さ抜く
●人生の価値を、物質的な世界にではなく、精神的な世界に求めているわけですが、これはまさしく現代人が放棄した生き方ではないでしようか。キリスト教も儒教もいやだという人でも、人類の教師とされる二人の基本的な視点を否定することはできないはずです。
●私たち現代人は、文明の衣にくるまって生きています。多くの人が死を非日常的なものと考え、生きる緊張感を失いながら生きていますが、かつては生は死と隣り合わせにありました。孔子やイエスの時代、いや、つい数十年前まで、人々は疫病や飢え、災害、治安の悪化などに怯え、常に死を意識しながら生きざるをえなかったのです。
●それだけに、自らの生をかけがえのないものと受けとめ、その根源にあるものを畏敬して日々を生きていました。その根源的なものを、孔子は天と捉え、イエスは全能の神と崇めたのです。孔子あるいはイエスの言葉から汲み取るべきものは、自分の生への敬虔な認識と、そこから生じる自分に忠実な日々の行き方ではないでしょうか。
Q 各人、どんな生き方なのでしょうか

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